エルミナ地方は停電はなかったものの、ガスが大揺れで自動停止(個人でリセット後復旧)、水道は二日ほど止まりました。
当時はまさかあんなに大きな地震が起きるとは全く考えておらず、ろくに備蓄をしていなかったので、飲料水やペットフード等の買い置きがなく、チャリであちこちのスーパーをハシゴすることになりました。
中でも困ったのが燃料やガソリンで、3月でそろそろ灯油の買い置きは一缶でいいかと思っていたら、震災後燃料が全く入ってこなくなり(これは当時の民主党政権が、新潟県と茨城県まで来ていた燃料を積んだ貨物列車を、福島県の手前で止めていたせいだったとのちに判明しました。←これだけでも、末代まで恨むわ!)、寒い中暖房がホットカーペットだけ(エアコンはあったけれど、原発事故の影響で使えなかった。)という、悲惨な状況になりました。
スーパーも震災翌日から営業していたものの、ほとんど商品はなく、2ちゃんねるのローカル板とTwitterでの搬入情報を目ざとく見つけ、開店前にチャリで駆けつけて並んで買ったりしてました。
特に牛乳とパンはなかなか手に入らず、震災後一週間くらいに、山崎パンの配送トラックを初めて見つけた時は、本当に嬉しかったのを覚えています。
(二代目デコっぱ@ディアナは震災当時1歳前の食べ盛りだったのに、なかなか食べ物【ドッグフードや犬おやつ類は、震災の翌々月まで品切れ状態。】やフードが手に入らず、ひもじい思いをさせてしまったことが、今でも心残りです。)
3/11覚え書き。
昼前に買い出しを済ませ、ディアナの散歩とおやつを終えて、Windowsを立ち上げ仕事を始め、しばらくしてぐらっと大きな揺れが。
ディアナはその少し前まで噛み噛みおやつと格闘、食べ過ぎるとおなかを壊しそうなので取り上げた数分後にぐらっと来た。
すぐに揺れが尋常でない(立っていられないほどの横揺れが長く続いた。)ことに気づき、犬にリードをつけ、フード、フードボール、お散歩バッグ(ペットシーツ他入り)と、お財布をトートバッグに入れ、一旦外へ出てディアナを保定。
(このあたりでにわか雪が吹雪になり、待たせていたディアナは少しの間で雪まみれになっていた。)
携帯だけ見つからず、ものが崩れて山になっているPC部屋を漁り、二往復目(その間にも大きな揺れが何度もあり、ディアナが腰を抜かしていたのでフォローのため。)でやっと見つけて徒歩一分の公園へ犬連れで避難。
(ディアナが非常に大人しくしてくれたので、揺れが収まるまで公園でしばらく過ごす。)
時折立っていられないほどの大揺れが来る中、午後4時過ぎまで公園と自宅を行き来し、その後ディアナの気分転換を兼ね、近くのコンビニまで散歩に出かける。
途中、石塀が数メートルに渡って倒れている家や、外壁や瓦が落ちている家が何軒かあることに気づく。
5時過ぎに緊急避難で自宅待機となったダンナが戻ってきて、取りあえず一階のリビング/台所/和室を片付け、今晩の寝場所を作る。
(二階は本棚の本が全て散乱、寝室では本棚が全壊という凄まじさで、手がつけられず。)
ライフラインは、電気/ガスは正常だけれど、水が出ない。
人用には買い置きのペットボトルウーロン茶があるけれど、犬用の水がないので外の水道が出るという前のお宅でやかん一つ分分けてもらう。
夜になっても大きな余震が続き、着の身着のまま(灯りとテレビは点けっぱなし)、少し寝ては起きるという状況のまま朝を迎える。
3/12
ダンナが会社の片付けに行くというので、その前に水だけ買ってこようと朝早く出かけるも、コンビニは閉店、自販機も水やお茶類は売り切れ状態。
たまたま出会った顔見知りの酒屋さん(3/11の地震で店内には壊れた瓶類が散乱状態。)に訊いてみると、水はないけれどポカリの500mlペットは残っているというので、2本購入し帰宅。
ダンナ出勤後、ディアナの状態を確認しながら、近所のスーパー&ドラッグストアを巡回。
殆ど長い行列が出来ている店ばかりなので、諦めて家から遠目のドラッグストアに行ってみると、店内はめちゃくちゃながら営業中で、急ぎ犬にも飲ませることの出来るイオン飲料、麦茶、人用のウーロン茶(計2リットルのペットボトル5本。火事場の馬鹿力。)とカップ麺をいくつかGET。
家に戻ると、ダンナがアルカリイオン水を6本(うち2本は、前日水をお裾分けして戴いたご近所へお返し)買って帰宅してました。
その後軽く食事を済ませ、凄まじく散らかった(台所には割れた食器やガラスが散乱。)それぞれの部屋の片付けをする。
(この時点でもまだ水は出ない。)
夕方になっても断水が終わらないようなので、水用のタンクを購入に出かけると、ホームセンターは閉店中(スーパーはちゃんと営業しているのに、エラい違い。)。orz
しょうがないので朝行列の出来ていたドラッグストアに行き、お茶や食料品、ディアナの緊急用のフードを購入し自宅へ戻る。
暗くなった頃にやっと水道が復活(それでもちょろちょろ程度)したので、やかんなどに溜めブリタで浄化し、犬用の飲料水にする。
夜になっても相変わらず余震が続き、この日も服を着て眠る。
(この日はローカルFMを点けっぱなしで眠りました。)
【twilog】
3/11
第一波の大きな揺れで、ディアナにリードをつけ、ドッグフードと犬の食器、お財布を持ち、ものが飛んでくる中外に避難。
が、携帯を持っていなかったことに気づき、ディアナを外(吹雪いてた!)に保定し、揺れの続く中自宅に戻り、散乱するものの中から携帯(とディアナの服)を探して脱出。
そのまま徒歩一分の公園に避難し、大きな揺れが収まるまで一時間以上そこで待機。
(ディアナが大人しかったので助かった。)
日が暮れてかなり寒くなったので、一旦自宅に戻ろうとするも、最初の揺れが相当らしい怖かったディアナは家に入ろうとせず。
そこへ仕事を切り上げて帰ってきたダンナが戻り、ディアナをなだめながら家に入る。
リビングの一部を除き、家の中は洗濯機でかき回されたような状態に。
取りあえず犬連れでは避難も出来ないので、自宅で眠るためのスペースを作ろうと、余震が続く中一階の片付け(二階は更に滅茶滅茶)を開始。
幸い電気とガスは使えたので、テレビを点けっぱなしにし、何とか眠れるぐらい空けたスペースで、人ふたり(いつでも外に出られるように、服は着たまま)と犬一頭で休む。
断水で人はともかく、犬の水は確保しなければならず、翌日買える店があったら買っておこうとダンナと話す。
(立てないほどの揺れの中、犬にリードをつけ、トートバッグに食器とフードを入れ、お財布【携帯はPC側に置いたまま、第一波の揺れの中ディアナを庇うため移動したので、大揺れで行方不明に。】を持ち、身支度し家に鍵をかけ、避難出来た自分に拍手。)
3/12
朝ダンナが会社(の片付け)に出かける前に、コンビニで水だけ買っておこうと出かけてみるも近くのコンビニは閉店。
一旦家に戻り、片付けの続きをしてから、近所のスーパー&ドラッグストアをはしごし、お茶や犬でも飲める麦茶などをまとめ買いする。
昼過ぎに戻ったダンナ(アルカリイオン水6本GET)と、水用のポリタンクを買いに出るもホームセンターも閉店中。(困)
仕方がないので、朝は行列で入れなかったドラッグストアに立寄り、イオン飲料他を買って帰宅。
夜水がちょろちょろ出るようになった。
3/12の夜も頻繁に大きな余震が続いていた(+福島第一原発の爆発事故が気になり)ので、FMを点けっぱなしにして休む。
ケージで寝ていたディアナは、夜中の余震に驚きソファーへ移動したまま、朝まで眠る。(おなかピーは11日のみ。)
3/13
3/13も続く余震の中、食料の買い出しや片付けを続ける。
(ネット/電話はいまだつながらず。)
揺れた二階は一階以上にめちゃめちゃになり、本棚一つがまっぷたつに壊れ、もう一台も足部分が折れ、散らばった本で足の踏み場がない。
(その場に居たら圧死確実。)
そうこうしている中、ちょろちょろな水の量が少しずつ増えてきて、汲み置きしようとお風呂に溜めることに。
今日になったら余震が少し減ったような気がするものの、時々大きな揺れが来る(その度ディアナはケージに緊急避難。)ので、いまだ油断出来ず。
こちらは、3月11日に福島県各地で開催された、東日本大震災の追悼と復興を願う行事の数々です。
発災から13年、311を知らない子供たちも増えてきている中、当時をどう伝えていくかが、今後の課題になっていくと思われます。
あなたよ...安らかに 東日本大震災から13年、次の復興への一歩 福島民友新聞社/みんゆうnet(以下、画像も転載)
あなたよ...安らかに 東日本大震災から13年、次の復興への一歩
2024年03月12日
東日本大震災と能登半島地震の犠牲者を悼み黙とうする参加者や来場者=11日午後2時46分、Jヴィレッジ
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から13年の節目を迎えた11日、県内各地で関連死を含めて4000人を超える犠牲者の追悼や被災地の復興を願うさまざまな行事が行われた。巨大な揺れと津波によって家族や知人を失った人たち、地域再生に奔走する人たち、そしてあの日を経験していない子どもたち。それぞれの思いを胸に、県内は静かな祈りに包まれた。
震災発生時刻となった午後2時46分、県内各地で黙とうがささげられた。復興のシンボルとして子どもたちの歓声が響くJヴィレッジでは、多くの家族連れらが目を閉じ、手を合わせた。開催された追悼と復興を願うイベントには、1月に発生した能登半島地震で被災した石川県の高校生らの姿もあった。
発生から13年が経過した今もなお、2万6277人(2月1日現在)が県内外で避難を続ける。7市町村に残る避難指示も解除のめどは立っていない。
ただ復興は着実に前進を続ける。昨年は帰還困難区域のうち特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が全て解除され、本格的な復興に向けて動き出した。創造的復興の中核として期待される福島国際研究教育機構(エフレイ)が開所、移住者や新規就農者が最多となるなど復興の取り組みが形になりつつある。
一方で課題は山積する。第1原発では廃炉の試金石となる溶け落ちた核燃料(デブリ)の試験的取り出しが控え、昨年8月に始まった処理水の海洋放出や除染で出た土壌の県外最終処分に向けた議論の行方は本県の未来を左右する。復興が進んだことで新たな課題も顕在化し、人口減や地域コミュニティーの再生など、次なる困難に直面する被災自治体もある。
全国で自然災害が相次ぎ、1月に発生した能登半島地震では、石川県を中心に多くの避難者が自宅に戻れないでいる。県内でも震災を経験していない世代が増え、いつか来る災害のため、記憶や教訓をいかに次世代につないでいくかも問われている。
福島市で開かれた県主催の東日本大震災追悼復興祈念式では郡山高合唱部による献唱などが行われ、県内遺族を代表して浪江町出身の鍋島悠輔さん(20)が追悼の言葉を述べた。「震災の教訓を活(い)かし、決して忘れないようにしていかなければなりません」。本県は次の復興への一歩を踏み出す。
アニコムさんが能登半島地震で迷子になっている、ペットの捜索を支援するとのことです。
能登半島地震により迷子になっているペットの捜索を支援いたします。
— 【公式】アニコム | ペット保険(だけじゃない) (@anicom_inc) January 5, 2024
下記の地域にお住まいの方は、ペット保険のご契約有無に関わらず、迷子捜索サービスをご利用いただけます。〈対象地域〉新潟県、富山県、石川県、福井県
ご利用方法など詳しくはこちらをご覧ください▼https://t.co/cncF6SI2N3 pic.twitter.com/phOuK4fOZu
こちらは、被災時に自宅に止まる「自宅避難」のための、100円グッズでも出来る防災対策の記事です。
我が家は2階寝室の180センチ越えの背の高い本棚が東日本大震災(震度6強)で倒壊、その後転倒対策機能付きの似たような本棚を買い直したものの、2021年と2022年の福島県沖震源最大震度6強の地震でこれまた倒壊し、同年スライド式(高さは1メートルほど。)の重い本棚に買い換えました。
寝ている時に大地震が起きる可能性もあるので、寝室には上記の本棚と2022年の地震で壊れて(本棚の直撃を受けて壊れた。)買い直した室内干ししかないのですが、次に震度6以上の大揺れが来たら、家の方が危ないかも……と思っています。(滝汗)
【被災時に自宅にとどまる・準備編】家具の転倒対策は100円グッズでも可能 電気・ガス・水道は“10日間止まる”と想定して備蓄を NEWSポストセブン(以下、画像も転載)
【被災時に自宅にとどまる・準備編】家具の転倒対策は100円グッズでも可能 電気・ガス・水道は“10日間止まる”と想定して備蓄を
100円グッズなどでもできる家具などの転倒防止
今年の元日、石川県・能登半島で最大震度7を記録する地震が発生。これにより、県内の7000人以上がいまだ避難所生活を強いられている(2月中旬時点)。たとえ地震では生き残っても、ストレスなどによる災害関連死で亡くなるケースも徐々に増え、その後に長く続く避難所生活の過酷さやさまざまな問題が浮き彫りになってきている。そこで“自宅で避難”をするための基礎知識を探った。【全3回の第1回】
目次
■「避難所へ行けばなんとかなる」は甘い
まずは事前に自宅の耐震確認を
電気・ガス・水道は10日間止まると想定
「避難所へ行けばなんとかなる」は甘い
「能登の避難所ではプライバシーを保つためのパーテーションや簡易ベッドが不足しています。床にシートを敷いただけの環境では、被災者の健康は守れません。こういった環境整備の問題は、30年前から改善を求められてきたにもかかわらず、まったく対処されていないことが、今回の地震で明らかになりました」
とは、1995年の「阪神・淡路大震災」で避難所生活を経験した防災士の稲垣暁さんだ。
こういった状況を踏まえ、マンション防災士の釜石徹さんは、「自宅が全壊、半壊するなど住めない状況でない限り、避難所に行くべきでない」と語る。住み慣れた自宅で家族やペットと過ごせる「在宅避難」は、災害関連死を予防するなどのメリットもあるという。
全国の指定避難所は8万2184か所(令和3年の内閣府調査)だが、これは充分な数ではなく、そもそも多くの人が避難所に入れない。避難所へ行けばなんとかなる、という考えは甘い。安全な在宅避難の方法を一緒に考えたい。
100円グッズなどでもできる災害対策
■まずは事前に自宅の耐震確認を
「在宅避難を可能にするにはまず、自宅の耐震性と地盤状態のチェックが必要です」(前出・稲垣さん)
戸建て、マンションともに1981年6月以降に建設申請を行った建物については、新耐震基準を満たしており基本的には安全といえる。
ただし木造住宅には2000年6月に定められた新たな基準が存在する。
築年数が古いなどの理由で、自宅が耐震基準に見合っているか心配な場合は、専門業者に依頼して耐震診断を行い、耐震工事をしておいた方がいい。
とはいえ、耐震化の診断・設計・工事は高額になるケースも多いので、補助金制度を設けている自治体も多い。事前に相談窓口へ問い合わせてみよう。
地盤については、自治体が公表している「ハザードマップ」で確認できる。居住地域の液状化の可能性や、大規模火災の危険度を改めてチェックし、その上で対策を考えておきたい。
在宅避難のために用意しておくべきものリスト(10日分)
■電気・ガス・水道は10日間止まると想定
自宅の耐震性と地盤を確認したら、家具の転倒・ガラス飛散の防止対策を。
「建物が無事でも、家の中がめちゃくちゃな状態では在宅避難は不可能。けがを防ぐためにも事前の準備が重要です」(前出・釜石さん)
防災士の草野かおるさんによれば、耐震ラッチ以外は100円ショップのグッズで対策できるとのこと。併せてライフラインが止まっても自力で賄える分の備蓄も必要だ。
「ガスや水道より早く復旧するとされる電気ですら、これまでの大地震で、10日間は使えないケースがありました。一般的に備蓄品は災害発生から3日分の用意が推奨されてきましたが、これからは、10日分は用意しておいた方がいいと思います」(釜石さん)
家族構成で備蓄の量や品目は多少異なるだろうが、食料や水、トイレの代替品、カセットコンロは必須品目。掲載のリストをもとに準備しておこう。
【プロフィール】
稲垣暁さん/防災士・社会福祉士。沖縄国際大学非常勤講師。1995年に「阪神・淡路大震災」を経験。現在は自身の被災体験をもとに防災啓発、被災地支援活動に取り組む。
釜石徹さん/マンション防災士。災害対策研究会主任研究員・事務局長。独自に考案した「マンション防災スマートシート」が内閣府主催のジャパン・レジリエンス・アワードなどで優秀賞を受賞。全国各地の自治体や主要官庁などで防災講演などを行う。
草野かおるさん/防災士。自治体などで16年にわたり防災活動にかかわったことがきっかけで防災士に。イラストレーターとしても活躍。著書に『おうち避難のためのマンガ防災図鑑』(飛鳥新社)など。
(第2回につづく)
取材・文/植木淳子 イラスト/草野かおる
※女性セブン2024年3月21日号