フジテレビへの抗議デモ応援 ヽ( ・∀・)ノ↑age↑ということで、今後のスケジュールをしばらくトップに固定しておきます。
■■■■ 今後のフジテレビ関連抗議デモ予定 ■■■■
<<全日程開催概要確定>>
■ 9月16日(金) 11:30- 茅場町花王本社デモ 東京都中央区坂本町公園 ◇大規模off板
■ 9月17日(土) 13:00- 本スレフジテレビ抗議デモ プロムナード公園 ◇大規模off板
■ 9月18日(日) 13:30- 大阪デモ 中之島公園 ◇現代撫子倶楽部★きなの会
■ 9月19日(月・祝) 13:45- お台場デモ 滝の広場 ◇チャンネル桜
■ 9月23日(金・祝) 15:00- 大阪花王デモ 中之島公園 ◇現代撫子倶楽部★きなの会
※ 時間は全てデモの「出発」時間です 集合場所へは30分以上の余裕を持ってお集まりください。
◆ まとめwiki : http://fuji-demo.info/
◆ 2ch大規模off板 : http://yuzuru.2ch.net/offmatrix/
未曾有の大震災から、今日で半年経ちました。
半年前の今日は14:46の本震から続く大きな揺れ(立っていられないような揺れが何度も続いた。)に怯え、着の身着のまま夜も電気を点けっぱなし(水道は使えなかったけれど、停電はしなかった。)で眠りました。
我が家の震災での被害は、西の基礎の角の構造クラック(基礎本体は無事なので、貼り直しだけで済むそうです。ほっ。)2本と、本棚が二架倒壊、食器棚と中の食器の半分が破損という状態でした。
内陸で津波の被害はありませんでしたが、このあたりは太古の大きな湖の跡地(10万年前に存在し、2万年前には湿地になっていたという郡山湖【猪苗代湖の三倍の大きさだったらしい。】。)だったため、家屋の全半壊は県内でもっとも多くなりました。
あれから半年、我が家の周りは震災後取り壊された家の跡地が増え、公園で遊ぶ子供の姿はなくなりました。
震災被害や原発事故の影響のない地域にお住まいの皆さんには、既に過去のことになりつつあるのかもしれませんが、被災地ではまだ311の地震発生時のまま、時間が止まっているということを忘れないで戴きたいと思います。
以下、3/14のブログに書いた震災当時の覚え書きを再録します。
3/11覚え書き。
昼前に買い出しを済ませ、ディアナの散歩とおやつを終えて、Windowsを立ち上げ仕事を始め、しばらくしてぐらっと大きな揺れが。
ディアナはその少し前まで噛み噛みおやつと格闘、食べ過ぎるとおなかを壊しそうなので取り上げた数分後にぐらっと来た。
すぐに揺れが尋常でない(立っていられないほどの横揺れが長く続いた。)ことに気づき、犬にリードをつけ、フード、フードボール、お散歩バッグ(ペットシーツ他入り)と、お財布をトートバッグに入れ、一旦外へ出てディアナを保定。
(このあたりでにわか雪が吹雪になり、待たせていたディアナは少しの間で雪まみれになっていた。)
携帯だけ見つからず、ものが崩れて山になっているPC部屋を漁り、二往復目(その間にも大きな揺れが何度もあり、ディアナが腰を抜かしていたのでフォローのため。)でやっと見つけて徒歩一分の公園へ犬連れで避難。
(ディアナが非常に大人しくしてくれたので、揺れが収まるまで公園でしばらく過ごす。)
時折立っていられないほどの大揺れが来る中、午後4時過ぎまで公園と自宅を行き来し、その後ディアナの気分転換を兼ね、近くのコンビニまで散歩に出かける。
途中、石塀が数メートルに渡って倒れている家や、外壁や瓦が落ちている家が何軒かあることに気づく。
5時過ぎに緊急避難で自宅待機となったダンナが戻ってきて、取りあえず一階のリビング/台所/和室を片付け、今晩の寝場所を作る。
(二階は本棚の本が全て散乱、寝室では本棚が全壊という凄まじさで、手がつけられず。)
ライフラインは、電気/ガスは正常だけれど、水が出ない。
人用には買い置きのペットボトルウーロン茶があるけれど、犬用の水がないので外の水道が出るという前のお宅でやかん一つ分分けてもらう。
夜になっても大きな余震が続き、着の身着のまま(灯りとテレビは点けっぱなし)、少し寝ては起きるという状況のまま朝を迎える。
3/12
ダンナが会社の片付けに行くというので、その前に水だけ買ってこようと朝早く出かけるも、コンビニは閉店、自販機も水やお茶類は売り切れ状態。
たまたま出会った顔見知りの酒屋さん(3/11の地震で店内には壊れた瓶類が散乱状態。)に訊いてみると、水はないけれどポカリの500mlペットは残っているというので、2本購入し帰宅。
ダンナ出勤後、ディアナの状態を確認しながら、近所のスーパー&ドラッグストアを巡回。
殆ど長い行列が出来ている店ばかりなので、諦めて家から遠目のドラッグストアに行ってみると、店内はめちゃくちゃながら営業中で、急ぎ犬にも飲ませることの出来るイオン飲料、麦茶、人用のウーロン茶(計2リットルのペットボトル5本。火事場の馬鹿力。)とカップ麺をいくつかGET。
家に戻ると、ダンナがアルカリイオン水を6本(うち2本は、前日水をお裾分けして戴いたご近所へお返し)買って帰宅してました。
その後軽く食事を済ませ、凄まじく散らかった(台所には割れた食器やガラスが散乱。)それぞれの部屋の片付けをする。
(この時点でもまだ水は出ない。)
夕方になっても断水が終わらないようなので、水用のタンクを購入に出かけると、ホームセンターは閉店中(スーパーはちゃんと営業しているのに、エラい違い。)。orz
しょうがないので朝行列の出来ていたドラッグストアに行き、お茶や食料品、ディアナの緊急用のフードを購入し自宅へ戻る。
暗くなった頃にやっと水道が復活(それでもちょろちょろ程度)したので、やかんなどに溜めブリタで浄化し、犬用の飲料水にする。
夜になっても相変わらず余震が続き、この日も服を着て眠る。
(この日はローカルFMを点けっぱなしで眠りました。)
【twilog】
3/11
第一波の大きな揺れで、ディアナにリードをつけ、ドッグフードと犬の食器、お財布を持ち、ものが飛んでくる中外に避難。
が、携帯を持っていなかったことに気づき、ディアナを外(吹雪いてた!)に保定し、揺れの続く中自宅に戻り、散乱するものの中から携帯(とディアナの服)を探して脱出。
そのまま徒歩一分の公園に避難し、大きな揺れが収まるまで一時間以上そこで待機。
(ディアナが大人しかったので助かった。)
日が暮れてかなり寒くなったので、一旦自宅に戻ろうとするも、最初の揺れが相当らしい怖かったディアナは家に入ろうとせず。
そこへ仕事を切り上げて帰ってきたダンナが戻り、ディアナをなだめながら家に入る。
リビングの一部を除き、家の中は洗濯機でかき回されたような状態に。
取りあえず犬連れでは避難も出来ないので、自宅で眠るためのスペースを作ろうと、余震が続く中一階の片付け(二階は更に滅茶滅茶)を開始。
幸い電気とガスは使えたので、テレビを点けっぱなしにし、何とか眠れるぐらい空けたスペースで、人ふたり(いつでも外に出られるように、服は着たまま)と犬一頭で休む。
断水で人はともかく、犬の水は確保しなければならず、翌日買える店があったら買っておこうとダンナと話す。
(立てないほどの揺れの中、犬にリードをつけ、トートバッグに食器とフードを入れ、お財布【携帯はPC側に置いたまま、第一波の揺れの中ディアナを庇うため移動したので、大揺れで行方不明に。】を持ち、身支度し家に鍵をかけ、避難出来た自分に拍手。)
3/12
朝ダンナが会社(の片付け)に出かける前に、コンビニで水だけ買っておこうと出かけてみるも近くのコンビニは閉店。
一旦家に戻り、片付けの続きをしてから、近所のスーパー&ドラッグストアをはしごし、お茶や犬でも飲める麦茶などをまとめ買いする。
昼過ぎに戻ったダンナ(アルカリイオン水6本GET)と、水用のポリタンクを買いに出るもホームセンターも閉店中。(困)
仕方がないので、朝は行列で入れなかったドラッグストアに立寄り、イオン飲料他を買って帰宅。
夜水がちょろちょろ出るようになった。
3/12の夜も頻繁に大きな余震が続いていた(+福島第一原発の爆発事故が気になり)ので、FMを点けっぱなしにして休む。
ケージで寝ていたディアナは、夜中の余震に驚きソファーへ移動したまま、朝まで眠る。(おなかピーは11日のみ。)
3/13
3/13も続く余震の中、食料の買い出しや片付けを続ける。
(ネット/電話はいまだつながらず。)
揺れた二階は一階以上にめちゃめちゃになり、本棚一つがまっぷたつに壊れ、もう一台も足部分が折れ、散らばった本で足の踏み場がない。
(その場に居たら圧死確実。)
そうこうしている中、ちょろちょろな水の量が少しずつ増えてきて、汲み置きしようとお風呂に溜めることに。
今日になったら余震が少し減ったような気がするものの、時々大きな揺れが来る(その度ディアナはケージに緊急避難。)ので、いまだ油断出来ず。
画像は、本日も暴れる以外は寝て過ごしているデコっぱ@ディアナです。
さて。
こちらも東日本大震災に関する記事になります。
いまだ多数の行方不明者の居る被災地での、唯一の生きた証が写真だけ…というのは、本当に切なくて辛いです。 (´;ω;`)ウッ…
「写真はここで生きていたという証」被災者の思い出を取り戻す、被災写真洗浄ボランティア 日刊サイゾー(以下、転載)
東日本沿岸部を襲った大津波は、多くの家々を飲み込んでいった。そこにあった生活の痕跡はすべて洗い流され、残されたがれきの山々は震災から半年を経過しても、まだ片付け終わることがない。
流されたのは家だけではない。津波被災地を歩くと、それぞれの家庭で大切に収められていたであろう思い出の品々が、がれきと一緒に野ざらしにされていることに気づく。食器やノート、ランドセル、ぬいぐるみ、泥だらけになった生活用品たちは、そのどれもが震災以前にあった生活を思い起こさせる。
そんな品々の中でも、最も強烈な印象を与えるのが、思い出を切り取った写真たち。どんな家の棚にも、記念日を写したアルバムは存在する。観光地での記念写真や、人生で最高の1コマ、仲間たちとのふざけたスナップ。それらを大津波は例外なく飲み込んでしまった。
そんな、思い出の写真を洗浄するボランティア活動が盛んに行われている。8月下旬、秋葉原のアートスペース「3331 Arts Chiyoda」で行われたイベントに足を運んだ。
■もしかしたらこの人も津波で......
この日、洗浄を行ったのは、津波が逆流した宮城県・名取川河口近くにある名取市閖上(ゆりあげ)地区で回収された写真。このイベントのために、およそ70名あまりのボランティアたちが集結した。アート系施設ということもあり、参加者は20〜30代の比較的若い人々が多い。
現像液に浸して絵を浮かび上がらせる写真は、そもそも水に強い構造を持っている。しかし、海水に流され、泥にまみれることにより、微生物を原因とした劣化が進む。すると印画紙にプリントされた写真画像は、ドロドロに溶けたような状態になってしまう。写真の腐食を食い止め、どんな写真かが分からなくなる前に写真を持ち主のもとに届けることが、このプロジェクトの目的だ。
午前10時30分、主催する富士フイルムのスタッフからのオリエンテーリングが終わると、あらかじめ決められていたグループごとに分かれて作業開始。比較的年齢層が若いせいか「真剣に集中して取り組む」というボランティアのイメージとは異なり、どことなく和気あいあいとした雰囲気を感じる。しかし、ある参加者に話を聞いたところ、やはりその心境は複雑なようだ。ある参加者は「もしかしたらこの人も津波で......と考えると怖くなってしまうこともあります」とうつむきながら語っていた。アルバムに収められた写真は人生の幸福な一瞬を切り取ったものが多く、現在とのギャップに耐え切れないボランティアも多いという。
また別の参加者は、この活動に参加する意義をこう語った。「震災に対しては、自分でも何かできないかと、ずっとモヤモヤした気持ちを抱えていたんです。今回、思い切って参加したんですが、やっぱり自己満足なんじゃないかという意識は消えません。ただ、先ほど結婚式の写真を洗浄したんですが、洗っているこちらも幸せな気持ちになりましたね」。
筆者も実際に洗浄ボランティアを体験してみたが、気持ちはやはり複雑だった。筆者が携わったアルバムは、1995年頃に撮影された女の子の赤ん坊の写真。水が染み込んでアルバムに張り付いてしまった写真を丁寧にはがし、筆などで優しく汚れを洗い流し、乾燥させる。見ず知らずの他人の写真を洗浄するのは不思議な気分だが、やはり気になるのは写真に写った人が無事であるかどうか。カメラの前で笑っていた彼女は、今はもう16歳のはず。「死者・行方不明者合わせて2万人」という言葉には、あまりリアリティーを感じられないが、この赤ん坊だった女性だけは無事でいてほしいと思ってしまう。
■「これで遺影にできます」
この活動のプロジェクトリーダーを務める富士フイルムの板橋氏は、震災直後からこの活動を開始し、4月にはすでに現地に赴いて写真洗浄を行っていた。「被災地では写真を洗うための桶もなく、冷たい水で手もかじかみ、なかなか作業が進みませんでした」と振り返る板橋氏。それでも、丹念に写真を洗浄し続けた。
「被災された方は『写真を手にすることで、ここで生きていたということが実感できるんです』とおしゃっていました。写真は他のものとは異なり、一度失ってしまったら二度と取り戻すことはできません。できるだけ多くの写真が無事な姿のままで持ち主のもとに戻ってほしいですね」
この活動の意義について質問すると「ある意味でのアフターサービスじゃないでしょうか」とこともなげに語る板橋氏。しかし、被災地でのあるエピソードの話になると、その顔には影が差した。「被災者の方に依頼されて、泥だらけの写真を洗浄しました。きれいになった写真をお渡しすると、『よかった、これで遺影にできます』とおっしゃったんです」。
同社広報の宮田さんは、「ボランティアは3331のホームページでのみの募集だったのですが、Twitterなどで情報が広まり、すぐに定員に達してしまいました。この活動をきっかけとして、写真の価値が見直されたのではないかと思います。いろいろな人に、写真の力を感じてほしいですね」と語る。注目を集める写真洗浄活動だが、この日、70人がかりで一日中作業を行っても、洗浄を終えた写真はアルバム40〜50冊分に過ぎない。被災地に埋もれたままとなっているアルバムのすべてを洗浄するには、まだまだ膨大な時間がかかりそうだ。
(取材・文・写真=萩原雄太[かもめマシーン])
【お断り】
最近当ブログ記事のボリュームが増え、本文が異常に長くなってしまうのを防ぐため、記事のレイアウトを少々変更しました。
以下、そのご説明です。
本文…今日の一押し。是非読んで戴きたい記事。
追記…本文の補足記事。裏ネタやはみ出し系記事もこちら。
プライベート追記…個人的な話題(閲覧にはパスワードかマイミク認証が必要)
「続きをよむ」をクリックすると、上記の追記記事に飛びます。
更に追記内にプライベート追記への「続き」がありますので、少し分かりにくいかもしれませんが、どうぞ宜しくお願いいたします。
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■■■■ 今後のフジテレビ関連抗議デモ予定 ■■■■
<<全日程開催概要確定>>
■ 9月16日(金) 11:30- 茅場町花王本社デモ 東京都中央区坂本町公園 ◇大規模off板
■ 9月17日(土) 13:00- 本スレフジテレビ抗議デモ プロムナード公園 ◇大規模off板
■ 9月18日(日) 13:30- 大阪デモ 中之島公園 ◇現代撫子倶楽部★きなの会
■ 9月19日(月・祝) 13:45- お台場デモ 滝の広場 ◇チャンネル桜
■ 9月23日(金・祝) 15:00- 大阪花王デモ 中之島公園 ◇現代撫子倶楽部★きなの会
※ 時間は全てデモの「出発」時間です 集合場所へは30分以上の余裕を持ってお集まりください。
◆ まとめwiki : http://fuji-demo.info/
◆ 2ch大規模off板 : http://yuzuru.2ch.net/offmatrix/
未曾有の大震災から、今日で半年経ちました。
半年前の今日は14:46の本震から続く大きな揺れ(立っていられないような揺れが何度も続いた。)に怯え、着の身着のまま夜も電気を点けっぱなし(水道は使えなかったけれど、停電はしなかった。)で眠りました。
我が家の震災での被害は、西の基礎の角の構造クラック(基礎本体は無事なので、貼り直しだけで済むそうです。ほっ。)2本と、本棚が二架倒壊、食器棚と中の食器の半分が破損という状態でした。
内陸で津波の被害はありませんでしたが、このあたりは太古の大きな湖の跡地(10万年前に存在し、2万年前には湿地になっていたという郡山湖【猪苗代湖の三倍の大きさだったらしい。】。)だったため、家屋の全半壊は県内でもっとも多くなりました。
あれから半年、我が家の周りは震災後取り壊された家の跡地が増え、公園で遊ぶ子供の姿はなくなりました。
震災被害や原発事故の影響のない地域にお住まいの皆さんには、既に過去のことになりつつあるのかもしれませんが、被災地ではまだ311の地震発生時のまま、時間が止まっているということを忘れないで戴きたいと思います。
以下、3/14のブログに書いた震災当時の覚え書きを再録します。
3/11覚え書き。
昼前に買い出しを済ませ、ディアナの散歩とおやつを終えて、Windowsを立ち上げ仕事を始め、しばらくしてぐらっと大きな揺れが。
ディアナはその少し前まで噛み噛みおやつと格闘、食べ過ぎるとおなかを壊しそうなので取り上げた数分後にぐらっと来た。
すぐに揺れが尋常でない(立っていられないほどの横揺れが長く続いた。)ことに気づき、犬にリードをつけ、フード、フードボール、お散歩バッグ(ペットシーツ他入り)と、お財布をトートバッグに入れ、一旦外へ出てディアナを保定。
(このあたりでにわか雪が吹雪になり、待たせていたディアナは少しの間で雪まみれになっていた。)
携帯だけ見つからず、ものが崩れて山になっているPC部屋を漁り、二往復目(その間にも大きな揺れが何度もあり、ディアナが腰を抜かしていたのでフォローのため。)でやっと見つけて徒歩一分の公園へ犬連れで避難。
(ディアナが非常に大人しくしてくれたので、揺れが収まるまで公園でしばらく過ごす。)
時折立っていられないほどの大揺れが来る中、午後4時過ぎまで公園と自宅を行き来し、その後ディアナの気分転換を兼ね、近くのコンビニまで散歩に出かける。
途中、石塀が数メートルに渡って倒れている家や、外壁や瓦が落ちている家が何軒かあることに気づく。
5時過ぎに緊急避難で自宅待機となったダンナが戻ってきて、取りあえず一階のリビング/台所/和室を片付け、今晩の寝場所を作る。
(二階は本棚の本が全て散乱、寝室では本棚が全壊という凄まじさで、手がつけられず。)
ライフラインは、電気/ガスは正常だけれど、水が出ない。
人用には買い置きのペットボトルウーロン茶があるけれど、犬用の水がないので外の水道が出るという前のお宅でやかん一つ分分けてもらう。
夜になっても大きな余震が続き、着の身着のまま(灯りとテレビは点けっぱなし)、少し寝ては起きるという状況のまま朝を迎える。
3/12
ダンナが会社の片付けに行くというので、その前に水だけ買ってこようと朝早く出かけるも、コンビニは閉店、自販機も水やお茶類は売り切れ状態。
たまたま出会った顔見知りの酒屋さん(3/11の地震で店内には壊れた瓶類が散乱状態。)に訊いてみると、水はないけれどポカリの500mlペットは残っているというので、2本購入し帰宅。
ダンナ出勤後、ディアナの状態を確認しながら、近所のスーパー&ドラッグストアを巡回。
殆ど長い行列が出来ている店ばかりなので、諦めて家から遠目のドラッグストアに行ってみると、店内はめちゃくちゃながら営業中で、急ぎ犬にも飲ませることの出来るイオン飲料、麦茶、人用のウーロン茶(計2リットルのペットボトル5本。火事場の馬鹿力。)とカップ麺をいくつかGET。
家に戻ると、ダンナがアルカリイオン水を6本(うち2本は、前日水をお裾分けして戴いたご近所へお返し)買って帰宅してました。
その後軽く食事を済ませ、凄まじく散らかった(台所には割れた食器やガラスが散乱。)それぞれの部屋の片付けをする。
(この時点でもまだ水は出ない。)
夕方になっても断水が終わらないようなので、水用のタンクを購入に出かけると、ホームセンターは閉店中(スーパーはちゃんと営業しているのに、エラい違い。)。orz
しょうがないので朝行列の出来ていたドラッグストアに行き、お茶や食料品、ディアナの緊急用のフードを購入し自宅へ戻る。
暗くなった頃にやっと水道が復活(それでもちょろちょろ程度)したので、やかんなどに溜めブリタで浄化し、犬用の飲料水にする。
夜になっても相変わらず余震が続き、この日も服を着て眠る。
(この日はローカルFMを点けっぱなしで眠りました。)
【twilog】
3/11
第一波の大きな揺れで、ディアナにリードをつけ、ドッグフードと犬の食器、お財布を持ち、ものが飛んでくる中外に避難。
が、携帯を持っていなかったことに気づき、ディアナを外(吹雪いてた!)に保定し、揺れの続く中自宅に戻り、散乱するものの中から携帯(とディアナの服)を探して脱出。
そのまま徒歩一分の公園に避難し、大きな揺れが収まるまで一時間以上そこで待機。
(ディアナが大人しかったので助かった。)
日が暮れてかなり寒くなったので、一旦自宅に戻ろうとするも、最初の揺れが相当らしい怖かったディアナは家に入ろうとせず。
そこへ仕事を切り上げて帰ってきたダンナが戻り、ディアナをなだめながら家に入る。
リビングの一部を除き、家の中は洗濯機でかき回されたような状態に。
取りあえず犬連れでは避難も出来ないので、自宅で眠るためのスペースを作ろうと、余震が続く中一階の片付け(二階は更に滅茶滅茶)を開始。
幸い電気とガスは使えたので、テレビを点けっぱなしにし、何とか眠れるぐらい空けたスペースで、人ふたり(いつでも外に出られるように、服は着たまま)と犬一頭で休む。
断水で人はともかく、犬の水は確保しなければならず、翌日買える店があったら買っておこうとダンナと話す。
(立てないほどの揺れの中、犬にリードをつけ、トートバッグに食器とフードを入れ、お財布【携帯はPC側に置いたまま、第一波の揺れの中ディアナを庇うため移動したので、大揺れで行方不明に。】を持ち、身支度し家に鍵をかけ、避難出来た自分に拍手。)
3/12
朝ダンナが会社(の片付け)に出かける前に、コンビニで水だけ買っておこうと出かけてみるも近くのコンビニは閉店。
一旦家に戻り、片付けの続きをしてから、近所のスーパー&ドラッグストアをはしごし、お茶や犬でも飲める麦茶などをまとめ買いする。
昼過ぎに戻ったダンナ(アルカリイオン水6本GET)と、水用のポリタンクを買いに出るもホームセンターも閉店中。(困)
仕方がないので、朝は行列で入れなかったドラッグストアに立寄り、イオン飲料他を買って帰宅。
夜水がちょろちょろ出るようになった。
3/12の夜も頻繁に大きな余震が続いていた(+福島第一原発の爆発事故が気になり)ので、FMを点けっぱなしにして休む。
ケージで寝ていたディアナは、夜中の余震に驚きソファーへ移動したまま、朝まで眠る。(おなかピーは11日のみ。)
3/13
3/13も続く余震の中、食料の買い出しや片付けを続ける。
(ネット/電話はいまだつながらず。)
揺れた二階は一階以上にめちゃめちゃになり、本棚一つがまっぷたつに壊れ、もう一台も足部分が折れ、散らばった本で足の踏み場がない。
(その場に居たら圧死確実。)
そうこうしている中、ちょろちょろな水の量が少しずつ増えてきて、汲み置きしようとお風呂に溜めることに。
今日になったら余震が少し減ったような気がするものの、時々大きな揺れが来る(その度ディアナはケージに緊急避難。)ので、いまだ油断出来ず。
画像は、本日も暴れる以外は寝て過ごしているデコっぱ@ディアナです。
さて。
こちらも東日本大震災に関する記事になります。
いまだ多数の行方不明者の居る被災地での、唯一の生きた証が写真だけ…というのは、本当に切なくて辛いです。 (´;ω;`)ウッ…
「写真はここで生きていたという証」被災者の思い出を取り戻す、被災写真洗浄ボランティア 日刊サイゾー(以下、転載)
「写真はここで生きていたという証」被災者の思い出を取り戻す、被災写真洗浄ボランティア
東日本沿岸部を襲った大津波は、多くの家々を飲み込んでいった。そこにあった生活の痕跡はすべて洗い流され、残されたがれきの山々は震災から半年を経過しても、まだ片付け終わることがない。
流されたのは家だけではない。津波被災地を歩くと、それぞれの家庭で大切に収められていたであろう思い出の品々が、がれきと一緒に野ざらしにされていることに気づく。食器やノート、ランドセル、ぬいぐるみ、泥だらけになった生活用品たちは、そのどれもが震災以前にあった生活を思い起こさせる。
そんな品々の中でも、最も強烈な印象を与えるのが、思い出を切り取った写真たち。どんな家の棚にも、記念日を写したアルバムは存在する。観光地での記念写真や、人生で最高の1コマ、仲間たちとのふざけたスナップ。それらを大津波は例外なく飲み込んでしまった。
そんな、思い出の写真を洗浄するボランティア活動が盛んに行われている。8月下旬、秋葉原のアートスペース「3331 Arts Chiyoda」で行われたイベントに足を運んだ。
■もしかしたらこの人も津波で......
この日、洗浄を行ったのは、津波が逆流した宮城県・名取川河口近くにある名取市閖上(ゆりあげ)地区で回収された写真。このイベントのために、およそ70名あまりのボランティアたちが集結した。アート系施設ということもあり、参加者は20〜30代の比較的若い人々が多い。
現像液に浸して絵を浮かび上がらせる写真は、そもそも水に強い構造を持っている。しかし、海水に流され、泥にまみれることにより、微生物を原因とした劣化が進む。すると印画紙にプリントされた写真画像は、ドロドロに溶けたような状態になってしまう。写真の腐食を食い止め、どんな写真かが分からなくなる前に写真を持ち主のもとに届けることが、このプロジェクトの目的だ。
午前10時30分、主催する富士フイルムのスタッフからのオリエンテーリングが終わると、あらかじめ決められていたグループごとに分かれて作業開始。比較的年齢層が若いせいか「真剣に集中して取り組む」というボランティアのイメージとは異なり、どことなく和気あいあいとした雰囲気を感じる。しかし、ある参加者に話を聞いたところ、やはりその心境は複雑なようだ。ある参加者は「もしかしたらこの人も津波で......と考えると怖くなってしまうこともあります」とうつむきながら語っていた。アルバムに収められた写真は人生の幸福な一瞬を切り取ったものが多く、現在とのギャップに耐え切れないボランティアも多いという。
また別の参加者は、この活動に参加する意義をこう語った。「震災に対しては、自分でも何かできないかと、ずっとモヤモヤした気持ちを抱えていたんです。今回、思い切って参加したんですが、やっぱり自己満足なんじゃないかという意識は消えません。ただ、先ほど結婚式の写真を洗浄したんですが、洗っているこちらも幸せな気持ちになりましたね」。
筆者も実際に洗浄ボランティアを体験してみたが、気持ちはやはり複雑だった。筆者が携わったアルバムは、1995年頃に撮影された女の子の赤ん坊の写真。水が染み込んでアルバムに張り付いてしまった写真を丁寧にはがし、筆などで優しく汚れを洗い流し、乾燥させる。見ず知らずの他人の写真を洗浄するのは不思議な気分だが、やはり気になるのは写真に写った人が無事であるかどうか。カメラの前で笑っていた彼女は、今はもう16歳のはず。「死者・行方不明者合わせて2万人」という言葉には、あまりリアリティーを感じられないが、この赤ん坊だった女性だけは無事でいてほしいと思ってしまう。
■「これで遺影にできます」
この活動のプロジェクトリーダーを務める富士フイルムの板橋氏は、震災直後からこの活動を開始し、4月にはすでに現地に赴いて写真洗浄を行っていた。「被災地では写真を洗うための桶もなく、冷たい水で手もかじかみ、なかなか作業が進みませんでした」と振り返る板橋氏。それでも、丹念に写真を洗浄し続けた。
「被災された方は『写真を手にすることで、ここで生きていたということが実感できるんです』とおしゃっていました。写真は他のものとは異なり、一度失ってしまったら二度と取り戻すことはできません。できるだけ多くの写真が無事な姿のままで持ち主のもとに戻ってほしいですね」
この活動の意義について質問すると「ある意味でのアフターサービスじゃないでしょうか」とこともなげに語る板橋氏。しかし、被災地でのあるエピソードの話になると、その顔には影が差した。「被災者の方に依頼されて、泥だらけの写真を洗浄しました。きれいになった写真をお渡しすると、『よかった、これで遺影にできます』とおっしゃったんです」。
同社広報の宮田さんは、「ボランティアは3331のホームページでのみの募集だったのですが、Twitterなどで情報が広まり、すぐに定員に達してしまいました。この活動をきっかけとして、写真の価値が見直されたのではないかと思います。いろいろな人に、写真の力を感じてほしいですね」と語る。注目を集める写真洗浄活動だが、この日、70人がかりで一日中作業を行っても、洗浄を終えた写真はアルバム40〜50冊分に過ぎない。被災地に埋もれたままとなっているアルバムのすべてを洗浄するには、まだまだ膨大な時間がかかりそうだ。
(取材・文・写真=萩原雄太[かもめマシーン])
【お断り】
最近当ブログ記事のボリュームが増え、本文が異常に長くなってしまうのを防ぐため、記事のレイアウトを少々変更しました。
以下、そのご説明です。
本文…今日の一押し。是非読んで戴きたい記事。
追記…本文の補足記事。裏ネタやはみ出し系記事もこちら。
プライベート追記…個人的な話題(閲覧にはパスワードかマイミク認証が必要)
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更に追記内にプライベート追記への「続き」がありますので、少し分かりにくいかもしれませんが、どうぞ宜しくお願いいたします。
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