先月の血液検査で肝臓の数値がやや高め(シモン茶のお陰で、中性脂肪値は平常値内に収まりました。)、でも薬を出すほどではないと、食事療法での様子見となったデコっぱ@ディアナさん。
飼い主的には中性脂肪が多いのも、肝臓の数値が高いのも、全て「肥満」が原因なんだろうと思っているので(メタボな人が生活習慣病で満身創痍になるみたいな?)、体質改善しながらの減量か、と腹をくくったのです…が。
先月末の猛烈な暑さ(その前のヒートも関わっているかな。)で食欲がガタ落ちしたのが幸い(?)し、身体の方は徐々に痩せてきているデコっぱです。
ガリガリだった先代ヘタレさん@エルミナなら、数日「食べない」だけで心配になってしまい、手替え品替え何とか食べさせる努力をしましたが、元々骨太肉厚なデコっぱは、一週間くらい食べなくてもあまり気になりません。←鬼!@犬。
脂肪は空腹にならないと燃焼しないので、むしろ少しおなかが空くくらいでちょうどなんじゃないかと思います。
(食べないと言っても、缶詰やおやつなど好きなものはいくらでも食べるので、先代の拒食とは訳が違うし。)
これで少しでもスリムになればラッキーなんですけど…、成果(?)が出るのは早くて二ヶ月後〜かな。
さて。
こちらは先週亡くなった、(三瓶)明雄さんのTOKIOとの心温まるエピソードです。
DASH村の開墾〜村作りの行程は、入植者として生きて来た明雄さんの人生そのものだったそうですが…、逆に言えば、明雄さんが居なければDASH村は存在しなかった、ということにもなる訳で…。 (´;ω;`)
「まだまだ」の他、「駄目だ、こりゃ」が口癖だったという明雄さん、今度は空の上からDASH村@浪江の再建を見守っていて下さい。合掌。
「DASH村の父」 一生懸命なTOKIOに農業教えることを楽しんだ NEWSポストセブン(以下、転載)
「DASH村の父」 一生懸命なTOKIOに農業教えることを楽しんだ
2014.06.12 07:00
ときおり肩を震わせながら、TOKIOのリーダー・城島茂(43才)は、棺の中で安らかに眠る“DASH村の父”の顔を覗き込み、別れの言葉をかけながら大粒の涙を流していた。
6月9日、『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)の人気コーナー『DASH村』で、“農業の達人”としてTOKIOの指導役を務め、6日朝に急性骨髄性白血病のため亡くなった三瓶明雄さん(享年84)の通夜が福島市内の斎場で、しめやかに執り行われた。
200人ほどが集まった広い会場の祭壇には、山のようにかたどられた青々とした木々と、たくさんの白い花やひまわりに囲まれ、トレードマークの白い手ぬぐいを頭に巻き、青空をバックににっこりと笑顔を浮かべる三瓶さんの遺影が飾られていた。
会場へと続く通路には、何十枚もの写真が並べられ、そのほとんどが、三瓶さんの人生ともいうべき、農作業に勤しんでいる姿だった。
喪服姿でその会場に現れた城島は、14年に及ぶ三瓶さんとの交流を、ひとつひとつ思い出すように語りかけていたのだろう。
三瓶さんの知人が、こう振り返る。
「『DASH村』に出演するようになった直後に、三瓶さんは奥さんを亡くしました。大事な人を失い、子供たちも独立していたため、ひとりになってしまった。三瓶さんは憔悴しきっていました。でも、『DASH村』にかかわっていたおかげで“大変な時期だったけど、村に新しい生きる目的を見つけられた”“一生懸命な彼らに教えるのが、すごく楽しい”なんて嬉しそうに話していました」
70才を超えてから見つけた、新たな生きがいだった。
そんな三瓶さんだが、仕事に対する厳しさも持ち合わせていた。口癖だった「まだまだ」という言葉。これは「満足したら、それ以上向上しない」という思いからで、どんなにいい仕事ができたと思っても「まだまだ」と言うようにしていたという。
その思いは、TOKIOのメンバーにも伝わり、彼らは多忙のなか、車で往復8時間の道のりを10年以上通い続けた。そんな5人に対し、三瓶さんはこんなことを語っていた。
「最初はみんな小さな虫を怖がっていたほどだったけど、一生懸命勉強して、今ではとても頼もしい存在になったね。息子に教えている感じだよ」
“5人の息子たち”も三瓶さんを「明雄さん」と呼び、父親のように慕った。彼らはコンサートに三瓶さんを招待、三瓶さんも自宅の自分の部屋には、TOKIOのポスターを飾っていたという。
※女性セブン2014年6月26日号
飼い主的には中性脂肪が多いのも、肝臓の数値が高いのも、全て「肥満」が原因なんだろうと思っているので(メタボな人が生活習慣病で満身創痍になるみたいな?)、体質改善しながらの減量か、と腹をくくったのです…が。
先月末の猛烈な暑さ(その前のヒートも関わっているかな。)で食欲がガタ落ちしたのが幸い(?)し、身体の方は徐々に痩せてきているデコっぱです。
ガリガリだった先代ヘタレさん@エルミナなら、数日「食べない」だけで心配になってしまい、手替え品替え何とか食べさせる努力をしましたが、元々骨太肉厚なデコっぱは、一週間くらい食べなくてもあまり気になりません。←鬼!@犬。
脂肪は空腹にならないと燃焼しないので、むしろ少しおなかが空くくらいでちょうどなんじゃないかと思います。
(食べないと言っても、缶詰やおやつなど好きなものはいくらでも食べるので、先代の拒食とは訳が違うし。)
これで少しでもスリムになればラッキーなんですけど…、成果(?)が出るのは早くて二ヶ月後〜かな。
さて。
こちらは先週亡くなった、(三瓶)明雄さんのTOKIOとの心温まるエピソードです。
DASH村の開墾〜村作りの行程は、入植者として生きて来た明雄さんの人生そのものだったそうですが…、逆に言えば、明雄さんが居なければDASH村は存在しなかった、ということにもなる訳で…。 (´;ω;`)
「まだまだ」の他、「駄目だ、こりゃ」が口癖だったという明雄さん、今度は空の上からDASH村@浪江の再建を見守っていて下さい。合掌。
「DASH村の父」 一生懸命なTOKIOに農業教えることを楽しんだ NEWSポストセブン(以下、転載)
「DASH村の父」 一生懸命なTOKIOに農業教えることを楽しんだ
2014.06.12 07:00
ときおり肩を震わせながら、TOKIOのリーダー・城島茂(43才)は、棺の中で安らかに眠る“DASH村の父”の顔を覗き込み、別れの言葉をかけながら大粒の涙を流していた。
6月9日、『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)の人気コーナー『DASH村』で、“農業の達人”としてTOKIOの指導役を務め、6日朝に急性骨髄性白血病のため亡くなった三瓶明雄さん(享年84)の通夜が福島市内の斎場で、しめやかに執り行われた。
200人ほどが集まった広い会場の祭壇には、山のようにかたどられた青々とした木々と、たくさんの白い花やひまわりに囲まれ、トレードマークの白い手ぬぐいを頭に巻き、青空をバックににっこりと笑顔を浮かべる三瓶さんの遺影が飾られていた。
会場へと続く通路には、何十枚もの写真が並べられ、そのほとんどが、三瓶さんの人生ともいうべき、農作業に勤しんでいる姿だった。
喪服姿でその会場に現れた城島は、14年に及ぶ三瓶さんとの交流を、ひとつひとつ思い出すように語りかけていたのだろう。
三瓶さんの知人が、こう振り返る。
「『DASH村』に出演するようになった直後に、三瓶さんは奥さんを亡くしました。大事な人を失い、子供たちも独立していたため、ひとりになってしまった。三瓶さんは憔悴しきっていました。でも、『DASH村』にかかわっていたおかげで“大変な時期だったけど、村に新しい生きる目的を見つけられた”“一生懸命な彼らに教えるのが、すごく楽しい”なんて嬉しそうに話していました」
70才を超えてから見つけた、新たな生きがいだった。
そんな三瓶さんだが、仕事に対する厳しさも持ち合わせていた。口癖だった「まだまだ」という言葉。これは「満足したら、それ以上向上しない」という思いからで、どんなにいい仕事ができたと思っても「まだまだ」と言うようにしていたという。
その思いは、TOKIOのメンバーにも伝わり、彼らは多忙のなか、車で往復8時間の道のりを10年以上通い続けた。そんな5人に対し、三瓶さんはこんなことを語っていた。
「最初はみんな小さな虫を怖がっていたほどだったけど、一生懸命勉強して、今ではとても頼もしい存在になったね。息子に教えている感じだよ」
“5人の息子たち”も三瓶さんを「明雄さん」と呼び、父親のように慕った。彼らはコンサートに三瓶さんを招待、三瓶さんも自宅の自分の部屋には、TOKIOのポスターを飾っていたという。
※女性セブン2014年6月26日号